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有能プロデューサーの顔を持つレジェンド・ギタリスト(ジミー・ペイジ編:その1)

エレキギター

三大ギタリストの一人

世界で最も成功したロックバンドの一つであるレッド・ツェッペリンのギタリスト兼リーダーであったジミー・ペイジは、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックと並んで三大ギタリストの一人と呼ばれています。

三大ギタリストはペイジ、クラプトン、ベック

ちなみに、三大ギタリストというのは、主に日本で使われている表現で、海外ではあまりそのような呼ばれ方はしないようです。3人ともヤードバーズ出身であり、それぞれ人気も高かったことから、70年代の日本の音楽系マスコミが多く使っていた呼び名らしいですね。

ギター歴わずか3年でプロバンドに参加も挫折

イギリスのミドルセックス州にジミー・ペイジが生まれたのは、1944年1月9日のことでした。

13歳の時にギターを始め、短期間でめきめきと頭角を現し、16歳でプロのバンドである”ニール・クリスチャン&ザ・クルセイダーズ”に参加します。わずか3年ほどでプロレベルになるなんて、本人の努力もあるでしょうけど、やっぱり才能があるんですねぇ。

しかし、プロのバンドの仕事は彼が思っていたよりもハードであったらしく、体調を崩してしまったペイジはバンドを脱退してアートスクールに入学します。

アートスクールに通う傍ら、クラブのブルース・セッションに参加したりしていましたが、やはりミュージシャンになる夢を諦めきれなった彼は、学校を退学してギタリストとして食べていく道を選びます。

スタジオ・ミュージシャンとして再起

ただ、バンドのハードさには懲りていたので、スタジオ・ミュージシャンとしての再活動でした。元々、能力の高いギタリストでしたから、あっという間に引っ張りだこのスタジオ・ミュージシャンとなり、多忙な日々を過ごします。

スタジオ・ミュージシャンとして多忙な日々を送る

この時期のペイジは相当な数のレコーディングをこなしているらしく、63年から65年の間にロンドンでレコーディングされたレコードの60%は、ジミー・ペイジがギターを弾いていると言う話もあるほどです。まあさすがに60%は言い過ぎとしても、それくらいでも不思議ではないほど忙しかったのでしょうね。

1965年になると初のソロ・シングル「She Just Satisfied」を発表。同じ年にヤードバーズからエリック・クラプトンの後任ギタリストとして誘いを受けますが、スタジオ・ミュージシャンとしての活動を突き詰めたい思いもあり、代わりに友人であったジェフ・ベックを推薦します。なんというか、金は集まるところに集まるとか言いますけど、世界的なギタリストとなる二人が元々友人関係にあったとか、人も集まるところには集まるもんなんですね。

ヤードバーズ時代

翌66年、再びヤードバーズからラブコールが寄せられ、ついにペイジはバンド活動を再開する決心をします。と言うか、ペイジ自身の言葉によると、当時は何でもいいからバンド活動が出来るチャンスを探していたと後に語っているので、ひょっとしたら、バンド活動を再開したくなったペイジの方から売り込んだのかも知れませんね。

こうしてヤードバーズの一員となったペイジですが、当初はギタリストとしてではなく、何とベーシストしての参加でした。これはジェフ・ベックの発案だったらしいのですが、ペイジはそれまでベースを弾いた経験はなかったというのですから驚きです。

案の定というか何というか、すぐに後任のベーシストが加入(ペイジがベースを弾いていたのは1週間ほどだったようです。)し、ペイジは本来の居場所であるギターへと転向。

ジミー・ペイジとジェフ・ベックのツインギター

そして、気が付けばペイジとベックのツインギター構成という強力なドリームユニットが出来上がるのです。しかし、その体制も長くは続かず、しばらくしてジェフ・ベックがヤードバーズを脱退。自動的にペイジが、リード・ギターを任されることになります。

ところで、ペイジの後にベースを担当したのは、クリス・ドレヤという人なのですが、この人はヤードバーズ解散後にペイジに新バンドへの参加を要請されるものの、写真家の道を志すという理由で辞退しています。こういう経緯もあり、レッド・ツェッペリンのデビュー・アルバム「LED ZEPPELIN」の裏ジャケット写真(メンバー四人の写真)は、ドレヤが撮影したものが使われています。ここにはちゃんとクリス・ドレヤの名前も記載されていて、こういうのを見るとなんだかほっこりした気持ちになります。

”レッド・ツェッペリン”結成

ヤードバーズは68年に一旦解散しますが、この頃のペイジはバンド活動に積極的な姿勢になっており、スタジオ・セッションで知り合ったジョン・ポール・ジョーンズ、友人に紹介されたロバート・プラント、ジョン・ボーナムとバンドを結成します。

そして、その名も”ニュー・ヤードバーズ”。・・・「ダッサwww」とか思ったそこのアナタ、大丈夫です。私も思いました。(笑)

もちろん、これは”レッド・ツェッペリン”なのですが、どうやらペイジにはヤードバーズとしての契約が残っていたらしく、これを消化するためにバンドにヤードバーズの名前を入れたのです。なるほど、だったらしょうがないですね!

契約を完了させたあと、バンド名を”レッド・ツェッペリン”に改名し、69年にデビューアルバム「LED ZEPPELIN」をリリース。

デビューアルバムがスマッシュ・ヒットとなり、さらに続けざまに発表したセカンドアルバム「LED ZEPPELIN II」も大ヒット。

このセカンドアルバムは、ツェッペリンの代表曲の一つである「Whole Lotta Love」(邦題:胸いっぱいの愛を)を収録していることで有名ですが、あのビートルズの「ABBEY ROAD」を、全米チャートNo.1の座から引きずり下ろした作品でもあります。ロック史に残る一枚、ということですね。

ここから、ついにツェッペリンの伝説がスタートしますが、この後は(その2)に続きます!

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