カルロス・サンタナ。
ラテン音楽とロックを見事に融合させて独自の世界を築き、泣きのギターと言えばこの人、というくらいのスペシャリストです。大体、著名なギタリストというのは独自のサウンドを持っていて、音楽をよく聴く人であれば、初めて聴く曲でも最初の方を少し聴けば誰が演奏しているのか分かるものですが、特にサンタナは分かりやすいギタリストの一人ですよね。
メキシコで生まれアメリカに移住
彼がメキシコのアウトラン・デ・ナヴァロに生まれたのは、1947年7月20日のことでした。父親のホセがヴァイオリン奏者だったこともあって幼いころから音楽が身近にあり、5歳からはヴァイオリン、8歳からはギターのレッスンを受けていました。
1955年にはティファナという町に引っ越し、そこで彼は他の若者たちと同じようにロックに目覚め、ギターの腕前はメキメキと上達。なんと十代の前半ごろには、既にストリップ・クラブで演奏したりしていたようです。色んな意味で早熟ですね。(笑)

1960年代の初めごろには、既にアメリカに渡っていた父親を追って家族でサンフランシスコに移住し、1965年にアメリカ人に帰化。
アメリカに移住後しばらくは皿洗いのバイトをしながらストリートライブで音楽活動をしていたサンタナは、プロのミュージシャンとして生きていく決心をし、1966年に”サンタナ・ブルース・バンド”を結成。当時の彼のギター・ヒーローはB.B.キングで、ブルース系のバンドを始めたのも、もちろんキングの影響が大きかったようですね。
ラテン音楽とロックをミックスさせた音楽性
ただし、彼は単に自分の音楽をブルースに限定する気はなく、自分なりの音楽を追求する姿勢を失いませんでした。そんな中で見つけたのが、自らのルーツでもあるラテン音楽。身体に染み付いたラテンの情熱を、ロックやブルースとミックスすることで独自の世界を築き上げ、当時のミュージシャンの間でも注目を集めるようになりました。
そして1968年に アル・クーパーのライヴに参加。これは3日間の公演だったのですが、最終日にメインアクトの一人であったマイク・ブルームフィールドが不眠症の悪化で降板せざるを得なくなり、代役として当時頭角を現し始めていたサンタナに白羽の矢が立ったことによるものです。
なお、この公演の様子はアルバム「THE LIVE ADVENTURE OF MIKE BLOOMFIELD AND AL KOOPER」(69年、邦題「フィルモアの奇蹟」)に収録されており、この中の「ソニー・ボーイ・ウィリアムスン」でサンタナが演奏しており、これが彼の演奏が収録された初のレコードとなっています。
伝説のウッドストックでブレイク
翌69年の8月には、もはや伝説となった「ウッドストック・フェスティバル」に参加。(この頃にはバンド名を”サンタナ”に改めていました。)同じ月にはデビューアルバム「SANTANA」をリリースします。
ウッドストックで圧倒的な存在感を示していたせいもあり、アルバムはいきなり全米4位の大ヒットを記録。続く2ndアルバム「ABRAXAS」(70年、邦題「天の守護神」)は、何と6週連続で全米No.1に輝き、アルバムからシングルカットされた「Black Magic Woman」が(フリートウッド・マックのカヴァー曲であるにもかかわらず)全米4位、「Oye Como Va」が全米13位を獲得。本格的にバンド活動を始めてからわずか4年足らずで、押しも押されぬトップミュージシャンの仲間入りを果たします。

ところで、サンタナは東洋哲学に傾倒していた時期があり、70年代当時はヒンドゥー教の高名な指導者であるシュリ・チンモイ師の弟子になっていたりもしました。そして、同じチンモイ師に弟子入りしていたのがジャズ・ロックギタリストのジョン・マクラフリン。彼らは意気投合し、1973年にはアルバム「Love Devotion Surrender」(邦題「魂の兄弟たち」)を共同でリリースしたりもしています。
日本公演ではヤマハ製ギターを使用
74年には来日公演を行います。このときにはステージ上でヤマハのSG-175を使用し、これがきっかけとなってヤマハと同機種を元にしたオリジナル・モデル「Budda」を共同開発、この後しばらくメインギターとして使用するようになります。
76年には8thアルバム(スタジオ・アルバムとしては7thアルバム)「AMIGOS」をリリース。このアルバムに収録されていた「Europa」(邦題「哀愁のヨーロッパ」)が日本のみでシングル発売されてヒットとなり、サンタナの日本での知名度が一気にアップします。

CMに使われたこともある曲ですので、きっとほとんどの人がこの曲を聴いたことがあると思います。タイトル通りの哀愁を帯びたマイナーのメロディーラインが、日本人の琴線に触れたようですね。
バンドからソロに軸を移す
1stアルバムが全米4位という衝撃的なデビューを飾り、70年代には日本でも高い人気を誇ったサンタナでしたが、80年代に入るとバンド”サンタナ”はアルバムセールスで苦しむようになります。
カルロス・サンタナ個人としても、敬愛していたシュリ・チンモイ師との間に考え方の相違を感じるようになり、82年に袂を別かつなど色々と転換期となった時期でした。

このころの活動としては、バンド活動よりもソロ活動の方が目立っていて、80年のアルバム「Swing Of Delight」ではウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスら著名なジャズ・ミュージシャン達との共演も果たしています。
87年リリースのソロアルバム「Blues for Salvador」では、タイトル曲がグラミー賞の最優秀ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス部門を受賞。当時のアメリカの音楽シーンはマイケル・ジャクソンやマドンナが圧倒的なセールスを記録していた時期でしたが、決してサンタナのギターは色褪せていないことを証明してくれた作品でもありますね。
バンドへの回帰
そして1999年、デビューから30年が経過し既にベテランの域に達していたサンタナでしたが、前作から7年ぶりにリリースした17作目のスタジオ・アルバム「Supernatural」が超大当たり。
シングルカットされた「Smooth」が全米No.1となったほか、グラミー賞史上最多の9部門を独占するなど、空前の大ヒットとなります。当時既にバンドはロックの殿堂入りを果たしていたのですが、殿堂入り後に最大のヒット作が生まれるという非常に珍しいパターンでした。

これにより一時は過去の存在となりつつあったサンタナが大復活。21世紀に入ってもコンスタントに活動を継続し、2021年には26作目のアルバムとなる「Blessings and Miracles」をリリースするなど、まだまだ現役であり続けてくれています。
ただ、2022年にはライブ中に脱水症状で倒れて緊急入院したり、2025年には自宅で転倒して骨折、さらにはライブのリハーサル中に再び脱水症状で倒れるなど、受難続きとなっています。年齢的に無理は禁物でしょうから、健康には気を遣ってもらって、活動を続けて欲しいですね。
情熱のギターサウンド
サンタナのプレイスタイルですが、恐らくテクニック的には極端に難しい事はしていないと思います。速弾きもすることはしますが、それがメインになることはありません。
ブルースを基本にしたタメのあるフレーズを得意とし、超が付くほどのロングサスティーンを奏でつつ、非常に微妙なニュアンスを弾き分ける表現力の高さを武器にしています。
情熱的で官能的。
ギターを感情豊かに唄わせることこそ、サンタナが最も得意とするところなのです。日本でもお馴染みの「哀愁のヨーロッパ」はその彼のプレイスタイルが凝縮された作品であり、ギター・インストのお手本のような楽曲と言っても良いでしょうね。

現在の使用ギターはPRS
サンタナの使用ギターは、時期によって違うのですが、主だったところを挙げてみますね。
まず、「ウッドストック・フェスティバル」で使用していたのはSGスペシャル。デビュー当時のサンタナと言えばSGスペシャルのイメージが強いのですが、実はそのあとはレス・ポールをメインギターにしています。
ジョン・マクラフリンと活動していた時期には、ギブソンとビル・ローレンスが共同開発したL6-Sを使用していたこともあるようですね。
そして、われわれ日本人にとっては馴染み深いヤマハSG。サンタナが1970年代から1980年ごろにかけて使っていたモデルはSG175をベースにしたカスタムメイド品で、ブッダのインレイが施されるなど市販されていないモデルでした。(後にSG175Bとして少数ですが限定生産されています。)
その後はポール・リード・スミス(PRS)を現在に至るまで継続使用しており、彼のシグネチャーモデルも発売されています。PRSにとってサンタナは単なる契約アーティストというだけではなく、ブランドの飛躍に大きく貢献した人物であり、廉価グレードであるSEシリーズは彼の提言によって誕生したという経緯があるほどですから、まさにサンタナ様々といったところでしょうか。
もちろん、提唱者であるサンタナ自身のシグネチャーモデルもSEシリーズから発売されていて、サンタナに憧れてギターを始めようという方にとっては、まず手に入れておきたいモデルですよね。

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