日本が誇る天才ロック・ギタリスト(Char編:その1)

エレキギター

日本には世界でも有名なギターブランドがいくつかありますが、では肝心のギタリストに優秀な人はいないのでしょうか?いえ、決してそんなことはありません。音楽市場の規模や好まれる音楽性の違いなどもあって、日本人アーティストは海外ではどうしても軽視されがちですが、わが国にもしっかりとした才能をもった一流のミュージシャンの人たちは確実に存在します。

8歳でギターを始める

「日本で上手いギタリストは誰?」という問いがあった時に、まず絶対に名前が挙がるのが、今回ご紹介するChar(チャー、本名:竹中尚人)氏。1955年6月に東京に生まれたChar氏は、8歳の頃にはギターを弾き始めていたそうです。

元々それ以前からピアノを習っていて、音楽の基本はある程度身についていたところに、既にギターを始めていた5歳年上の兄の影響によるところが大きかったそうですね。11歳の時に友人とバンドを組み、中学生の時には早くもプロ・デビューの話を持ち掛けられるなど、非常に早熟なギタリストでした。

伝説のバンド”スモーキー・メディスン”

元々、実家が医者の家系だったため、いつかは自分も医者になるのかなという思いも心のどこかにあったそうなのですが、やはり彼は自分の夢を追いかける道を選び、ギタリストして日々成長していきます。

そんなChar氏が注目を集めるようになったのが、1973年に結成した”スモーキー・メディスン”での活動でした。スリー・ドッグ・ナイトや第二期ジェフ・ベック・グループのカヴァーを得意とし、ファンキー色を前面に打ち出したこのバンドは、当時の日本のロック・シーンにおいては衝撃を持って語られる存在でした。

当時の日本はロック黎明期

今や日本のロック史において伝説のバンドとも言われるスモーキー・メディスンは、RIZEの金子ノブアキとKenKenの母である金子マリをボーカルに据え、ベース:鳴瀬喜博(カシオペア)、ドラム:藤井章司(一風堂)、キーボード:佐藤準(作曲・編曲家として有名な人で、おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」を作曲した人ですね)らを揃えた強力ユニットでした。

ただ結果的に、スモーキー・メディスンはプロデビューには至らずに解散してしまいます。解散した理由は、音楽的指向の違いだとかプライベート面での対立だとか、色々と諸説あるようですね。

ただ、RIZEのギター/ボーカルのJESSEはChar氏の息子であることを考えると、少なくとも金子マリさんとChar氏の間に、決定的に根深い対立はなかったんじゃないかなと思います。まあ、今でもライブやイベントで共演するなど、交流はずっと続いているようですし。

スモーキー・メディスンは結果的にデビューには至りませんでしたが、1982年発表のChar氏のソロアルバム「Moon Child」に、スモーキー・メディスン名義の曲(「Show What You’ve Got Inside Of You -Mama-」「Joy To The World」の2曲)が収録されています。

プロデビューは1976年

スモーキー・メディスン解散後に渡米したChar氏は、そこで知り合ったミュージシャン達を起用してデビューシングル「NAVY BLUE」(76年)を発表してプロデビュー。立て続けにソロアルバム「Char」(76年)もリリース。

デビュー当初はアイドル的なキャラクターだった

「Smoky」などの代表曲を収録したこのアルバムは、今では日本のロック史上に残る名盤として高い評価を得ていまね。しかし、当時の日本の音楽界でロックをやって食べていこうと思うと、ロック色の強い曲を並べるばかりではセールス的に厳しくなりがちで、ある程度歌謡曲的なものをやる必要がありました。そのため、その後にリリースされたシングル「気絶するほど悩ましい」や「闘牛士」などのヒット曲は、そういう背景から生まれたものだったようです。

この時、彼はアイドル的なミュージシャンとして社会に認識されており、同じころに売れっ子になた世良公則&ツイストや原田真二と共に「ロック御三家」と呼ばれていました。また、ドラマやバラエティー番組への出演などもあり、彼が目指していたロック・ミュージシャンとしての理想から、少しづつかけ離れていくようになりました。

“Johnny,Louis&Char”を結成

でも、やっぱりChar氏は本格的なロックをやりたかったのです。一時期芸能界とは距離を置いたのち、元イエローのジョニー吉長、ザ・ゴールデン・カップスのルイズルイス加部らとともに、”Johnny,Louis&Char”を結成します。79年に日比谷野外音楽堂で開催された無料のフリーライブでは、雨天にもかかわらず1万4千人を動員し、同音楽堂の動員記録を樹立します。当時の日比谷野外音楽堂のキャパは6千人くらいだったようですから、まさに観客が押し寄せたんですね。

このステージで歌謡曲路線から解放された、彼が本来望むバンドの姿を披露します。このバンドをきっかけにして彼は多彩な音楽活動を開始しますが、その話は次回ですることにしますね!

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